‘08.11.26集会から 見えてくるもの 【1】趣旨説明 司会進行:加地氏 前回の会に引き続きまして、本日の会の進行を蕪崎の加地が、さしていただきます。えーと、ですね、前の第1回目の会のときした9月の25日の会で、できなかったことを、そして前回の会から、今日までの経過とですね、で、今日の会の方向づけを、この会を代表して、寺尾がご説明申しあげます。 趣旨説明:寺尾氏 大変お忙しいところ、たくさんの方がお集まりいただきまして有り難うございます。本来9月の25日、500人ほど集めて集会をやろうと準備をしていたんですけども、いろんな問題がありましてですね、あの、引き延ばし延期をさしていたしました。それでですね、その経過をたどっていきたいと思いますので。 えー、一応私たちが、土居中で起こって問題を知ったのは、3月に入ってからだろうと思います。土居中のですね、誹謗中傷の書き込みが、ブログの中に書き込まれているというようなことを知りまして、まあそのうちに何とか治まるんじゃないか。と傍観していたわけでございますけれども、ますますエスカレートしてくるという中で、6月くらいから「なんとかせないかんぞ」というような中でこういう会を持ちながらですね、対策を練っていました。 で、私たちが考えていたのは、まずは、一日も早く子供達が、落ち着いて授業ができるようにしなければならない、ということを重点に考えました。そして、先生たちも授業に集中できるように、まず解決を図っていこうということで、色々取り組みを進めて参りました。 2007年からですか、全国の統一テストが得られるようになったと思います。で、この時点では土居中学校は、四国中央市の中でも成績がダントツによかったはずなんです。しかし、今年の成績は、ぐっと下がってしまいました。これもやっぱりですね、この問題が、先生や子供達にも大きな影響を与えている、ということがはっきりいえると思うんですね。だから、どっかの大臣が言いましたように、「日教組の強いところは成績が悪いんじゃ」とか、「同和教育のやっとるところは成績悪いんじゃ」やか言うのは、全くのウソだと思うんです。ですから、一生懸命先生たちが、子供の進路保障するために、学力保障をつけていこうと一生懸命やってくれた証拠じゃないんかなと私は思っております。 こういう中でですね、7月13日に、民報宇摩ですね。土居中学校このことをいっぱい書いて出されました。でこれではいかんぞということで、私たち何とかしなければならないということで、教育委員会と話をしまして、とにかく我々だけでは、一方通行で片っ方としか情報は入ってこないと。このことをきちんとできるのは、教育委員会しかないんじゃから、教育委員会できちんと対応してくれと。というような形で話を持ってきました。 ほれとやっぱり、伝わったんではいけないんだということもですね、伝えまして、やりまして、とにかく、21日に会を持ちました。そういう中で、土居中を守る会ということで、会を持たさしていただいて、このときは150名の人たちが寄りまして、私たち、お金一銭もありませんので、カンパのお願いいたしまして5万円近く集まりまして、それを使っていろんな文書を出したりとか、会場の借り上げ代に回しておりますので、ご理解をお願いしたいと思います。そしてその会の中では、民報宇摩に書かれた中身のこういう点が間違っているんだよということをお伝えしたんですね。そして、A教諭のことが出てまいりましたので、A教諭の学校での勤務状況とか態度はどうだったのか、ということも、おかしいよということを報告さしていただきました。そして暴力事件のことを多く取り上げていましたので、このこともですね、えー、目撃した人の証言を得るようにもって行きました。 そしてこの会の中で、教育委員会に、この事件の背景の説明を求めると、いうことで、25日には500人ほど集めて、教育委員会としての経過をきちんと話をして、どうやって解決していくんだということも述べてもらおうということで、えー、なりましてですね、9月2日の日に3名で、教育委員会に出てきまして、話をしました。で、そのなかですね、えー、文書で申し込みをいたしまして、9月5日までに、文書で回答をくれと、いうような話をしましたけれども、教育委員会の方はですね、あの、「今までの教育委員会の対応にも問題があった。」ということをはっきりその場で認めました。しかし、ですね、「お互いに誹謗中傷でなく、問題解決のために具体的な取り組みをする場であったら出ていくんだけれども、今回は行けれません。」というようなことで、25日には出てこないということがはっきりしまして、その後、このままではいけないということで、共産党の青木議員との話も持ちました。 えー、一応ですね、この場で話を持ちましてですね。そして、これ以上、民報に書かれていましたので、これ以上学校を混乱させるようなそういう文章を出さんといてくれというような話もしましたけれども、共産党の方はですね、議会でこのことを一般質問にあげているということで、一応議会が取り上げてやっとんので、報告を出さないかんという話なりました。そのなかですね。とにかく、保護者とか、そして学校に刺激を与えるようなそういう書き方をしないように、文章表現を考えてくれと、いうように話をしましてですね、そして、ブログが一番の問題なんで、ブログを消せるように働きかけをやってほしいというようなこともお願いしまして、やれる範囲でやってみましょうという話になりましたけれども、最終的には消せなかったんですけれども、というような話を持つ場も持ちました。 そして、9月25日に向けての集会の準備を進めていましたけれども、「警察の方の捜査が、かなり進み始めてきたと、で関係者の人の事情聴取とか、あるいは調書をとり始めている」というような話も、伝わってまいりましてですね、そっちの方も重点的にしていかなければならないだろうという話と、そして「プロバイダーを誰が開設とかいうこともわかってきた」と。そして、「A教諭のパソコンが、差し押さえられるだろう」という情報も伝わってきましたので、そのあたりが明らかになるまで待った方がよかろうということで、待ってました。ほして、書き込みをしていた人たちの名前も、じわじわと出てくるようになりましたので、その辺もですね、「待とう」ということで、 そうしたなかで、この問題の犠牲になっとるのは、あくまで生徒たちなんだ。ということで、1日も早く授業に集中できれるように、えー、とにかく、訴訟も取り下げも、やっぱり考えるべきでないかというような、会の中で色々議論をしましてですね、とにかく努力をするようにしようじゃないかと、とにかくいろんな問題が有るけれども、丸く収まるようにみんなで努力しようじゃないかと、いうような話を進めていました。 しかしですね。相手側の方もですね、学校側の方も非があったということを認めるんだったら、ま、取り下げをやめようかな、向こうの方も「ブログ消してもええよ」、そういう話が伝わってきましたので教育委員会の教育長とかですね関係者あたり、かなり多くの人たちがこの問題にかかわって動いてくれました。でも最終的には、このブログが消えることはなかった。 ということで、そういうなかで10月21日に、再び民報が出ました。そのなかですね。我々が会の中でも、また民報出たやないか、話がちゃうんやないかという意見がありましたし、集会を開いて民報の誤っとる部分は、もっと強く指摘するべきでないんだろうかと、いうようなそういう話も出ましたけれども、 えー、それとですね8月21日の、あの、たぶん見られた方は分かると思うんだけども、主催者不明のままの集会だったということを書かれました。でも、あの、今日はっきり言っておきますけれども、私たちは、私は寺尾ですけれども、とか、事務局は加地がやっとりますけれども、こういう得体の知れん集団ではありませんので、何とか中学校のことを何とかしていこうというメンバーが、集まってやっておりますので、明らかにですね、私たちが自主的に作った、えー、組織であるということが言えると思います。 んで、そのなかですね。あの21日の晩、参加されていた方もおいでると思いますけれども、主催者不明の集会であると。ほんで参加者した女性が怖かったというようなそういう書き方をされておったわけです。私たちは怖いような集会をやった覚えはありません。できるだけ何とか解決しようということで、努力はつついっぱいしてきたつもりなんですね。確かにエスカレートした部分は仕舞いの方少々あったかもわかりませんけれども、それでもですね、本当にこう、怒りの気持ちから出たもんであろうと思っておりますので、怖いような集会ではなかったと、私たちはそう判断しております。 で、情報も、民報に書かれている情報も入っているのだろうかと、だいたいどっから入ってるのかなというのは、だいたいわかっています。一方的に流れているんですね。お互いに主張を公平に書いておるのなら良いんですけれども、私は一方的に書いているんだから、やがて墓穴掘るだろうということで無視しようやないかというような話になりました。そして、内容もほとんど前回と変わらないかと、そして、違てきとんのは、県教委へ申し込みをしたということ。教育長の答弁がちょっと前向きになったなあ、というところくらいがちょっと分ったくらいで。ほとんど変わらんやということですね。 とにかく警察の捜査とか、そういう部分で、あるいは裁判で、やがて明らかになるやろ。いうことで、ですね。この集会をとにかく延期しようと、いうことで、今日まで来てしまいました。 そういうことで、今回出した文書の中ででもですね、あの、土居中を守る会、と当初作った会でやっていましたけれども、その辺のですね、土居中だけの問題というようにとらえられている方もおいでられます。PTAの書いとる問題でないんかと、みたいなとらえ方をしとる方もおいでられますので、私たちの会をですね、土居町の人権を考えるような会にしていこうということで、会の名称も変えんかったらどうもいかんのじゃないかということになりまして、ですね、一応会の名称も変えていこうという形になっておりますので、またご協力を一つお願いいたしたいと思います。 本日の集会ですけれども、ここでルールをひとつ決めておきたいと思います。先程も言いましたように、ブログに書き込まれているようなそういったような誹謗中傷の問題を取り上げてもらっても、私たちでは答えることはできません。で、民報の旨の記載されているもんであるとか、この前ありました、校長先生がマスコミに取り上げられた問題、こんなことも出されても、私たちでは答えることはできませんので、あるいはですね。暴力事件の関係であるとか、学校現場のことであるとかあるいは教育行政のことをとらえられても私たちはここで議論を進めていくようなことになりませんので、発言の方は受け付けないような場合もあります。 そういうことで今日の会はですね、文書でも差し上げておりましたように、これまで土居町が、顕現教育に踏み切って20年経ちました。で、そういうなかで、土居町がやってきた同和教育あるいは人権教育というものは、どうなったのかということを一つ検証する場にしていきたいと思うんです。で、そういうのですね。あのー、議論にさしていただけたらと思います。特にこの20年の間に特に土居町の場合の権限教育は、差別の現実に学びながら、自らの生き方を求めて教育をやっていくんですよ、というアドバルーンを上げて取り組んできたと思います。人に対する優しさとか思いやりとか、あるいは相手の立場に立って、いろんな物事を判断できる児童生徒育を育成していこうと取り組んできたんですよね。そのことに対して、いろんな不満のある方もおいでるだろうし、いろんな意見もあるだろうとおもいます。ですから、20年の間にはいろんな教育のやり方も変わってこなければならなかったと思います。で、その中でいろんな意見を聞かせていただいてですね。今の土居町の進めているその同和教育あるいは顕現教育や人権規教育が、ここはこうあるべきだったんではないかなと、そういうような意見を聞きながら、みなさんの声を聞かして頂いて、今後の参考にしていきたいと思いますのでよろしくお願いします。 2008年11月28日 書き起こし まごころ教育友の会代表 大山大仏(3) |
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【2】一発言から見えてくるもの 寺尾氏の「趣旨説明」についての解説は、来週からじっくり時間をかけてやっていきたいと思っています。けれどもそれよりも前にすでに掲示板で、優れた考察が、出てきています。このような作業を、ぜひ皆さん一人ひとりにやって欲しいと思っているのです。なぜかと申しますと、皆さんはこれまで、「土居町の同和団体は怖い」とひたすらに、あるいは潜在的に、思ってきました。それは皆さんの責任ではなく、恐怖心を与えた側の責任であります。皆さんが意識するより前に、すでに恐怖心が、植えついていたのではないでしょうか。 ところが、11月26日の集会、1時間半余りを見てみると、彼らの手法が全て凝縮されていると言っても過言ではない。そしてそれを見抜いてしまえば、「なんだ、こんなものに脅えていたのか」と、吹き出したくなるでしょう。そういうわけで、会議に参加されていなかった人は是非、この会の様子を収録したCDを聴いてほしいと思い、配送サービスを試みることにしたわけです。 さて、今回は、寺尾氏の「趣旨説明」ではなく、集会の中で発言されたお一人の方の発言について、解説してみたいと思います。その方の発言は、内容は置いておくとして、その発言の仕方は、メリハリの効いた抑揚のある見事なものでした。かなりの経験を積み重ねていることが、伺えます(なお、このような方は男性女性を問わず、かなり大勢おりました)。 この方が、最後に一言、こういいました。 「告訴の取り下げは、断じてすべきではない!」 こうして数分間の演説を締めくくると、会場(の一部)から拍手が起こりました。 さてこれを聞いたとき、私の中に「え?」という気持ちが起こりました。どこかで聞いたぞという気がしたのです。そしてすぐに結び付きました。確か私が、 「取り下げなさい。告訴を取り下げなさい」 と書いた記憶があったのです。しかし、昨日の時点では対談が忙しく、どこでそれを言ったのか、探す余裕はありませんでした。 今日、『土居中 校長体罰事件』を読んでいて、その箇所に、いきあたりました。ここです。 これに対して、彼は 「告訴は断じて取り下げるべきではない。」 と言って、拍手を得たわけです。 さて、このことについて考えてみたいと思います。 寺尾氏は「趣旨説明」で、青木議員のことで、全くのでたらめを言っていました。それが、昨日の一般議員さんの掲示板の書き込みで、明らかになりました。至る所で、このようなウソによる塗り固めが見られます。それは、A教諭に対しても全く同じなのです。 彼らは、『告訴』という手段をとりました。ただし、これには法律的に、『逆告訴』という方法があります。A教諭が、逆告訴することもできるのです。しかし、彼は、「本質的に大切なのは教育である。教師として復帰することである。余計なことに労力を使いたくない」といって、私たちの「逆告訴する気はないのか」という質問を一蹴しています。 けれども、彼らの行った告訴が、もしも裁判にまで発展したら、そのとき彼らはどうするのでしょう?一般市民さんが掲示板で明らかにしたのと同じように、A教諭のことについて、彼らはでっち上げをしている、ということを私たちは証明することができます。それについては、このサイトでもいっさい明かしていません。裁判になったとき、明かすでしょう。 音声も、全てを公開したわけではないのです。 そうしてみれば、彼らは今、取り上げた刀を、振り下ろすこともできず、かと言ってもとの鞘に納めることもできない。そのようなアンバランスな状態に陥ってしまったと言えるのです。 彼らは、掲示板で指摘されたように【両者の言い分を聞いて調査】されたのではないのです。一方の言い分だけを聞いて、それを飾り奉っただけなのです。真実を知っていますか?? 彼も含めて、彼の発言に拍手をした方々。あなた達が、告訴を取り下げたからと言って、我々がこのサイトで、そのことを大げさに取りたてて報告するような気は一切ありません。 いつの間にか告訴は取り下げられていた。あなた達は、正しい判断をした。それでいいじゃないですか。あなた達がポイントを稼ぐのです。 もし私が命令調で言ったので、そこが悪かったのであれば、もう一度言い直します。 「取り下げてください。告訴を取り下げてください。」 どうぞ、振り上げた刀を鞘に納めてください。 つぎに、2点目を指摘したいと思います。私は、『土居中 校長体罰事件』で、上記のことも、人対協の方々に、申し上げたのですが、その時、「心ある人対協の方々」と、「心なき人対協の方々」の二つに分けてそれぞれ別々に、申しあげました。 実は、告訴の取り下げについては、後者の方々に申し上げたのです。 上に述べたことは、心があるならばわかるのです。わざわざ「告訴を取り下げなさい」などと命令口調で言われなくても、それが正しい道だということがわかるのです。だから、心ある人対協の方々に対しては、そのようなことは、言う必要は無いのです。言うこと自体が失礼なのです。 心がない場合は…。心がない場合は難しいですね。自分で、考えることができません。ただ、パターン化された、なにか得体の知れないものに突き動かされて、そのパターンで、敵とみなしたものを威圧するしかないのです。だから、私は、「心なき人対協の方々」と称して、「告訴を取り下げなさい」と申し上げたのです。 そこに反応して、見事な演説を「告訴を取り下げるべきではない」との一言で締めくくる。 これは何を意味しているか。 すなわち、あなたが、「心なき人対協の方々」の側の一人である、ということです。 つまり、どんな見事な演説をしても、あなたには、「心がない」のだ、ということです。 なお、『土居中 校長体罰事件』に私が書いたことを、あなた達が実によく読んでいることは、寺尾氏の「趣旨説明」からも明らかです。それについてはまた別に解説致しましょう。 なぜ、寺尾氏の「趣旨説明」の解説に先立って、このことに触れたかと申しますと、いい加減で方向修正をしてほしいと思うからです。 先日も述べましたが、寺尾氏の「趣旨説明」は、 『至る所問題だらけの超代物』 といえます。その全てを解説していくということは、わざわざ 恥を公に明らかにしていく ことです。 そこまでしたくないのです。どうぞ、先にご自分たちで、軌道修正をしてほしい。 最後に、土居町民および、四国中央市民、さらには、日本全国の方々に申しあげます。 このような、自分の発言だけを押し通し、人々の恐怖心につけ込んでことを進めていこうとする手法に頼る彼らは、何ら、恐るるに値しません。 彼らの最終的な頼みの綱は、告訴→裁判という手法ですが、仮にも、日本という民主主義国家の司法が、このような社会的悪を見抜けずそれに屈服してしまうなら、それは、民主主義の一大危機を表します。 私たちは、日本の民主主義を信じてもいいのではないでしょうか。 ならば、一人一人が、えせ同和の名を騙る暴徒に押されることなく、不参加の時には不参加の意思を示し(地区懇など)、言うべきことは、恐れることなくどんどん言っていくことが必要ではないでしょうか。 2008年11月29日 まごころ教育友の会代表 大山大仏(3) |
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【3】篠原教諭の発言 失礼します。えーと、川之江町の篠原です。去年まで土居中学校につとめていました。私は今日ここに自分のためにきています。土居中学校の今の状況が、本当にはがてたまらないので、その自分の気持ちで、ここに、自分のためにきています。あの、いろいろ喋りだしたらとまらない。短くまとめようと頑張りはしてるんだけど。 まともな話が通らない状況だったです。私が居るときも。でさっきから言っているように、はっきりさしてほしい。何をはっきりさしたいかというところ、あるんですけれども、同和教育は、私は、ま、いろんな人が言っているように、自分のためにやってると思っています。それは、言葉にすると簡単かもしれないんですが。本当に実感してそう思います。 何かがうまくいかないとき、人のせいにしたりとか、これができないのはこれが悪いからとか、そういう考え方を持っているのは、本当に間違っていると思うんです。同和教育なり、何なり、言い方はいろいろあるんですけど、差別いかんし、これがおかしいって自分が思ってそれをきちんと伝えていく。さっき言われている方もいましたが、そのことは、やりきらないかんと思うし、それができんのは、自分に何かが足りないからだろうし、何か邪魔されることがあったとしても、それに対して、ほんなら自分は今度どうしていこうかと自分のこととして考えて行ったらええことだけのことだと思うんです。 だけど、今本当に、今、ごめんなさい、私がいたのは、去年までですけれども、土居中学校の中で、あの、自分を守るために、子供を使ったりとか、ブログであったりとか、そちらの方が、よっぽど得体がしれないと思っているんです。間違いないと、それは自分では思っているんです。だからそのそういったおかしいところ、本当にあの〜、具体的に言えなくて申し訳ないですけれども、私は今回の会で、はっきりしているのかなと思っております。 あの〜、先ほど言われていた方もいますけれど、方向性をどうしたらいいのか、自分自身、今どこに向きを定めたらいいのか分からないまま喋っているんですが、(?)言いますけれども、自分自身は、本当にこれまで、勉強さしてもらってきて、うまくいかないことも失敗したことも間違えたことも、してきたかもしれないけれども、それでも差別いかんし、おかしいことは、おかしいって言える人間で自分はいないといけないと思うから、いろんな方に教えてもらいながら、勉強さしてもらいながら、自分がやれることを探していきたいと思っています。 2008年12月1日 書き起こし まごころ教育友の会代表 大山大仏(3) |
【4】篠原教諭の発言から見えてくるもの 再度、一般市民さんの掲示板の書き込みを引用させていただきたいと思います。 > 印象に残ったのは、篠原と名乗る女性教師ですが、あのかたは、生徒の後ろでいすを思い切り床にたたきつけた教師ではなかったかと思うのですが、間違っていたらつっこみを入れて下さい。 たいへん鋭いと思います。あの会の中で、この篠原教諭の発言は、土居中学校で、おぞましい事件が相次いで起こっているにもかかわらず、一向に改善されない。その原因のカギを握っていると、思います。 今度のは、趣旨説明に比べて、短いです。その点のみは評価できます。そこで、趣旨説明を読み込んだのと同じように、この発言を読み込んでみると、実は、趣旨説明とウリ二つであることが分かってきます。 趣旨説明については、赤星山さん、一般市民さん、タイモさんが、たいへん優れた考察を寄せて下さいました。そちらをまたしっかり読み込んでください。ワードなどに、コピペして、自分で読みやすいように、整形して読み込んでいくと良いでしょう。 では、この篠原教諭の発言が、どのように問題を孕んでいるのか、どうぞ。それを読み取ってみてください。 2008年12月1日 まごころ教育友の会代表 大山大仏(3) 【5】篠原教諭の発言から見えてくるもの(2) まず、篠原教諭の発言で目を引くのは、「自分のために」というのが、3回繰り返されていることである。それほど繰り返して強調したければならないことなのだろうか? ということは、その逆(正確には「補集合」)の状態があるということである。すなわち、「他の何かの目的のために」という状態が…。 そこで、篠原教諭が、強調していることの逆(「補集合」)のことを付け加えて書いてみれば、 「私は、今日ここに、他の何かの目的のために来ているんじゃなくて、自分のために来ています。」 ということになる。 普通なら、わざわざ強調するかな? 普通なら、わざわざ強調したりなんかしないと思う。 普通なら、わざわざそんなこと言う必要ないじゃない。 あえて「自分のために来ています」なんていうことを3回も繰り返して言うってことは、その逆(「補集合」) 「私は今日ここに他の何かの目的のために来ているんです」 と言っているようなもんだ。じゃその「他の何かの目的」とは、一体何だろう? 篠原教諭は、「自分のために」という言葉の間に、 「土居中学校の今の状況が、本当にはがてたまらない」 ということをはさんでいる。「はがて」というのは、方言であるから、このあたり以外の人には分からないだろう。「腹が立って」ということである。 「土居中学校の今の状況が、腹が立ってたまらない。」 ということが、その「他の何かの目的」の一部分であると考えられる。 あとで篠原教諭は、「今、」と言って、すぐに、「ごめんなさい。私が居たのは、去年までですけれども」と修正している。したがって、土居中学校の今の状況というのは彼女には直接は分からないのである。人から聞いて、間接的にしかわからないのである。 さてそこで、「土居中学校の今の状況」というのを、彼女が土居中にいたときのことで表した部分を探してみよう。 すると、すぐ先に、 「まともな話が通らない状況だったです。私がいる時も」 という一文がある。 「まともな話が通らない状況」? おそらく、具体的にこれを説明したところがあるはずだ。それを探してみよう。 すると、最後の「自分のために、」を言った後、その部分が出てくるのである。 4つあるので、番号をつけてわけて書いてみたい。 (1)
何かがうまくいかないとき、人のせいにしたりとか、これができないのはこれが悪いからとか、そういう考え方を持っている。 (2)
差別いかんし、これがおかしいって自分が思ってそれをきちんと伝えていく。そのことは、やりきらないかん (3)
それができんのは、自分に何かが足りないからだろうし、何か邪魔されることがあったとしても、それに対して、ほんなら自分は今度どうしていこうかと自分のこととして考えて行ったらええことだけのことだ。 (4)
自分を守るために、子供を使ったりとか、ブログであったりとか これだけ挙げた後、篠原教諭は「間違いないと、それは自分では思っているんです。」と断定している。それほど、この四つのことを言いたかったのである。 つまり、この4つが、彼女が言うところの「まともな話が通らない状況」であり、「土居中学校のそんな状況に、腹が立ってたまらない。」と言うわけなのだ。 そこで、この4つを、具体的に調べてみることが必要なのだが、実は、文としての致命的な欠陥が、4つともに存在する。 それは、 主語がない ということである。いったい【誰が】なのかが、書かれてないのである。 そこで、我々の次の仕事は、まず各文の主語が何なのかを推測することから始めなければならない。 分かりやすくするために、主語○○の部分を、( )として、改めて、各文を書いてみたい: (1)
( )は、何かがうまくいかないとき、人のせいにしたりとか、これができないのはこれが悪いからとか、そういう考え方を持っている (2)
( )は、差別いかんし、これがおかしいって自分が思ってそれをきちんと伝えていく。そのことは、やりきらないかん (3)
( )は、それができんのは、自分に何かが足りないからだろうし、何か邪魔されることがあったとしても、それに対して、ほんなら自分は今度どうしていこうかと自分のこととして考えて行ったらええことだけのことだ。 (4)
( )は、自分を守るために、子供を使ったりとか、ブログであったりとか 野村教育長さんは、「自分の心の内を見つめて、自分の非を反省することが大切」とおっしゃったそうだ。 篠原教諭は、「自分のために来た」と3回繰り返して、言った。 そこで考えてみよう。本当に自分のためにすべきことは何か? それは、野村教育長さんがおっしゃった、 「自分の心の内を見つめて、自分の非を反省すること」 である。篠原教諭が、それを実践しているとするならば、ここで(1)〜(4)のそれぞれ部分の主語には、自分の名前が入るはずである。すなわち、 (1)
(自分:篠原雅代)は、何かがうまくいかないとき、人のせいにしたりとか、これができないのはこれが悪いからとか、そういう考え方を持っている (2)
(自分:篠原雅代)は、差別いかんし、これがおかしいって自分が思ってそれをきちんと伝えていく。そのことは、やりきらないかん (3)
(自分:篠原雅代)は、それができんのは、自分に何かが足りないからだろうし、何か邪魔されることがあったとしても、それに対して、ほんなら自分は今度どうしていこうかと自分のこととして考えて行ったらええことだけのことだ。 (4)
(自分:篠原雅代)は、自分を守るために、子供を使ったりとか、ブログであったりとか さてどうだろうか? この作業は、まずは、自分一人で部屋にこもって、沈黙のうちに行われるべきものである。そうして、それを大勢の中で、大勢の群衆に向かって言うときには、それなりの目的があってしかるべきである。 さてどうだろうか?この主語は正しかったであろうか? 実は、文脈を読みとればすぐに分かるのであるが、主語が彼女ではないことは明白である。この「文脈を読み取るということ」は、大変大事なのであるが、「誹謗・中傷や名誉棄損・侮辱」なども騒ぐ者は、文脈を読み取ることができない。 そこで、さらに突っ込んで、解説をしておきたい。 主語が彼女でないことの理由は、(4)を見れば明白である。「ブログ」という言葉が出てくるのである。そしてこの言葉は、寺尾氏の『趣旨説明』の中で、次のように出てくるのである: >ブログが一番の問題なんで、ブログを消せるように働きかけをやってほしい したがって、(1)〜(4)の各文の主語は、まごころ教育であるか(または大山大仏)、あるいは、A教諭(河村卓哉)であるかどちらかであるということになる。 自分は、これを「まごころ教育は」として当てはめて、各文を読んでみたが、少しピンとこないのである。そこでもう一度、篠原教諭の発言を初めから全部見ていってみると、引っかかる言葉がある。それは、 >まともな話が通らない状況だったです。私が居る時も。 >私がいたのは、去年までですけれども、 つまり、自分が土居中学校に居た昨年度に、上の(1)から(4)のような、まともな話が通らない状況があった、ということを言いたいのである。 とするならば、各文の主語は、A教諭であるということになる。 彼らは、A教諭という以上の名前は出さない。名前を出してしまえば、自分たちが、告訴される対象になることわきまえているからである。けれども、分かる人にはわかるし解らない人にはわからない。分かる人はほくそ笑むし、解らない人は恐怖感を抱く。 ここでは、さっきと同じように、名前を入れて、文を完成させてみよう。 (1)
(彼:河村卓哉)は、何かがうまくいかないとき、人のせいにしたりとか、これができないのはこれが悪いからとか、そういう考え方を持っている (2)
(彼:河村卓哉)は、差別いかんし、これがおかしいって自分が思ってそれをきちんと伝えていく。そのことは、やりきらないかん (3)
(彼:河村卓哉)は、それができんのは、自分に何かが足りないからだろうし、何か邪魔されることがあったとしても、それに対して、ほんなら自分は今度どうしていこうかと自分のこととして考えて行ったらええことだけのことだ。 (4)
(彼:河村卓哉)は、自分を守るために、子供を使ったりとか、ブログであったりとか どうだろうか?篠原教諭の発言を初めからもう一度、すべて読んでみると、これですっきりと話が通る。 さて、それではもう一度、篠原教諭の発言を吟味してみよう。 その羅針盤になるのは、野村教育長のお言葉である。再掲する。 「自分の心の内を見つめ、自分の非を反省すること」 これができているであろうか? どうであろうか? 自分の非を反省するどころか、他人をやり玉に上げて、公衆の面前で、「それを間違いない。」と言い切る態度。 これこそ、誹謗・中傷であり、名誉棄損・侮辱なのである。ただ単に氏名を入れてないというだけのことである。 篠原教諭は最後にこう締めくくっている。 >おかしいことは、おかしいって言える人間で、自分はいないといけないと思うから、 篠原教諭。わかりますね。おかしいのは、あなたの発言がすべておかしかったのです。弱い立場の他人に向けているその視線を、まず自分に向けてください。そうして、自分で自分の心を見つめてください。 あなたは、『うつ病差別事件』や『幹部教職員による生徒いじめ事件』に置いて、何がおかしいか見抜きましたか?それは、自分の心を見つめ、自分の心を弱い立場の人に合わせなければ見えないのです。 あなたは、こうも言っています。 >いろんな人に教えてもらいながら、勉強さしてもらいながら、自分がやれることを探していきたいと思っています。 本当に、いろんな人に教えてもらっていますか?教えてもらう人が片寄っていませんか?あなたが名誉棄損・中傷した、その当人に、教えてもらうことができていますか? それを必ずやってください。 今のあなたのままだと、「自分は間違いない」と思いながら、弱い立場の生徒を傷つけていることは、間違いないのです。 さて、ここまで読んでくださったみなさん。大切なこと申しあげます。 私たちは今11月26日の篠原教諭の発言を論理的に分析しました。その結果、篠原教諭の発言は、まったく内容のない、勢いだけの発言であることが判明しました。 寺尾氏の発言についても同様です。これについては、赤星山さんやタイモさんがすでに詳しい分析をしてくださっていますので、ぜひそちらを今ください。 そうすると、寺尾氏の発言と、篠原教諭の発言は、まったく瓜二つであることが、わかります。 そこで新たな問題が浮かび上がってきます。すなわち一私的同和集団(その定義はのちに改めてします。ここでは一応この言葉を使うことにします)と、公教育の一教諭が、その思想(はあまりありません)・信念に置いて完全に癒着しているということです。
まさにそういうことです。 そして、氏名を出さないというだけであって、やっていることは、誹謗・中傷・名誉棄損・侮辱ばかりである、得体のしれない(あえてもう一度言わせてもらいましょう。得体が知れないとは、その行いを指して言っているのです)集団。 名称は、『土居中をよくする会』に始まって『土居中を守る会』、そして、またまた変更して『土居町の人権を守る会』??と、もっともらしくつけるのですが、その会がどのような会なのかを判断するのは、その会の中身によってなのです。 これほど、論理性のないお粗末な集団は見たことがありません。 これを明言しておきます。 まさに、「墓穴を掘る」とはこのことです。 いままで、この集団に対して恐れを抱いていた人。もう、その次元から脱却しようではありませんか。 なお、最後に付け加えておきます。 この、インターネット上での「まごころ教育」は、「ブログ」ではありません。「ブログ」とはトラックバックの機能の付いた日記風のサイトのことです。 では、これを何と呼べばいいかといえば、「まごころ教育サイト」と読んでください。 また、いずれ今回のような論理的分析をしますが、寺尾氏の「趣旨説明」において「プロバイイダーを誰が開設」などととんでもないことが書かれています。IT用語をもう少し勉強してください。(でないと、「あなたたちにできるのは、何でもかんでも告訴して脅しをかけることだけだ」と子供から笑われるようになりますよ。) 2008年12月1日 まごころ教育友の会代表 大山大仏(3)、 山口 侠介 【6】寺尾氏の「趣旨説明」から見えてくるもの(1) 寺尾氏の「趣旨説明」」を次のように、分けてみる。
さて、これが《至るところ問題だらけの超代物》であることは先に述べさせていただいたが、それを具体的に解説したい。 しかし、かなりの量にわたるので、すでに掲示板で指摘された点については、それを引用させていただくにとどめようと思う。そこで、赤星山さんの[160]とタイモさんの[163]は、ぜひ読みこんでおいてほしい(もちろん後からでもかまわない)。 まず、この14分間の演説の、全体像がどのようなものであるかを一言でまとめておこう。演説の仕方としては、たいへん巧妙である。この集会の発言者の中にも、そのような演説発言をする者が何人かいるが、彼らは決まってこの手法を用いている。初めに目的を述べ、そして聴衆を集団催眠に陥れるマジックワードを掲げ、そして演説を始めるのである。このマジックワードは、すでに対談の中でキーワードとして正体を明かしたが、戦でいえば、のぼり旗を立てるようなものである。 最初に集団催眠に陥れた聴衆は、非常に扱いやすい。すりかえと詭弁と押し付けと、そして自己正当化を巧みに組み合わせ、リズミカルに演説を進めていく。したがって、その演説の中において、《ウソ》を平気で述べても、聴衆はおかしいとも思わない。こうして、多くの聴衆はイメージ操作をされ、この後に、聴衆の中の何人もの発言者から同じ手法が(前回明らかにした、篠原教諭のように)繰り返されるのを聞いて、それを否定することさえできなくなっていくのである。 では解説に入る。 第1パラグラフ【1】であるが、その集会の目的を述べている。いわば、「9月25日の集会を引き延ばし、延期した理由をこれから説明します。」ということである。ただし、「500人ほど集めてやろうと準備していた」という風に、数を誇示し、最初に、聴衆を威圧すること。忘れない。 第2パラグラフ【2】。ここに、この演説における。最大の問題点が隠されている。それは次の言葉である: 「誹謗中傷の書き込みが、ブログの中に書き込まれている」 この一言で、聴衆は催眠状態に陥れられてしまうのであるから、私たちはしっかりと認識できるようにしておこう。 ここで寺尾氏が「ブログ」と言っているのが、何を指しているのかがはっきりしない。掲示板のことなのか、それとも、まごころ教育サイトのことなのか?しかしこれは、この趣旨説明をずっと読んでいくと、『まごころ教育サイト』を指していることがわかる。 すなわち、言い換えれば、 「まごころ教育サイトは、誹謗中傷である」 と言いたいわけである。そこで、赤星山さんの書き込みを読んでほしい。全文を引用させていただく。
彼らは、何も考えずにパターン化して、この言葉を使う: 「誹謗・中傷」。 しかし、それは本来の意味をわからずに使っているとしか思えない。 上記の赤星山さんの引用の中から、さらにその部分を再掲したい: 誹謗 ― 事実無根の悪口を言うこと 名誉を傷つけること 『まごころ教育サイト』は、事実無根なのであろうか? 根拠がないのであろうか? さらに赤星山さんの引用の中から再掲する: そこで寺尾氏は 問題とされるブログの書き込みが 事実無根であるということを どのように検証されたのであろうか。 「誹謗・中傷」という言葉を使う人は、このことをしっかりと認識しておくべきである。 まごころ教育に、当初掲載されたことがらを、寺尾氏はじめ学校関係者および運動団体関係者たちはどのように検証したのであろうか? 実は、そのことも、すでに『まごころ教育サイト』に書かれている通り、《一方的》だったのである。 寺尾氏はじめ学校関係者および運動団体関係者たちは、集会においては「A教諭」と彼らが呼ぶところの「河村教諭」に、直接話をきいたのだろうか? 聞いてないのである。《一方的》だったのである。にもかかわらず、「A教諭が悪い」として、片方の言い分だけを、8月21日の大勢集めた集会の中で、まことしやかに、C6とC7に公言させたのである。 これが、正しい意味での「誹謗・中傷」である。 すなわち、正しくは、寺尾氏はじめ運動団体関係者(学校の教諭の一部も含む)が、A教諭を「誹謗中傷」しているのである。A教諭の名誉を棄損しているのである。 さて、論理展開における、『3段論法』について一言、言及しておきたい。これは、最初に《大前提》なるものがあり、それをもとに、結論を導き出し、今度はその結論を新たな仮定として、《最終結論》を導き出す、というものである。ここで注意しておきたいのは、《大前提》が間違っていれば、途中の論理展開は正しくても、最終的に出てくる《最終結論》は、間違っている、ということである。 彼らは、この演説のさらには集会の、最初に、事実とは正反対の《大前提》を打ち出した。これは何を意味するかといえば、このあと展開されることがすべて偽物である、ということである。もちろんそれは、《大前提》を認める論理展開の上での話であって、《大前提》を否定するならば、偽の偽は真なりで正しい結論が出てくる可能性もある。 この「趣旨説明」の後、行われた発言会の中で、一人だけ《大前提》を否定する発言をされた方がいた。「子供が仙台に転校して行って、また帰ってきたら、土居中の同和教育の矛盾点が見えた」という発言であった。しかし、残念ながらこれは単発に終わってしまった。それほど、この会の最初の方向付けが、間違った方向に強く打ち出されたということである。 なお、この最初の【2】の中に、タイモさんが指摘された問題点も含まれている。 寺尾氏は述べている: 「土居中で、起こった問題を知ったのは、3月に入ってから。傍観していた。6月くらいから、なんとかせないかんぞ」 タイモさんの発言を引用する。
土居中の同和教育を中心で考えようとする人は、3月にその問題を知った時点で、すぐに動くべきだったのである。その問題は、3月に起こったのではなく、2007年度の最初から、起こっていたのである。 けれども、最初に述べたように、彼らは、《大前提》が正反対である。彼らにとって、『本当の問題』とは一体何だった?彼らが、6月くらいから、「なんとかせないかんぞ」と言ったのは一体どういう問題を念頭に置いていたのか? もう明らかであろう。彼らにとって、『本当の問題』、『「なんとかせないかんぞ」という問題』は一体なんだったか?それは、まごころ教育サイトに土居中で起こった問題の真相が書かれている、という、まさに、そのことにほかならない。彼らにとっては、幹部教師集団からいじめられて転校した生徒が土居中にいたことが、大切な問題なのではなかった。彼らにとっては、4月からパワハラを受け、一方的に追い詰められて「不安障害」を発症し学校にこれなくなった教師がいることは、大切な問題ではなかった。 彼らにとって大切なのは、そのような事実があったことをインターネットのサイトで公表されることが都合悪い、それだけのことであった。 そのようなわけで、彼らは、「インターネット=悪」、「書き込み=悪」というイメージ的図式を作り上げ、巧妙な手段を総動員して、サイトつぶしに、かかってくるのである。 このようなわけで、このあと【3】以降、彼らの論理が展開していくが、それは、もはや論理と言ったものではない。ヒトラーの演説のようなものである。 以上【1】、【2】終わり。 ― 続く ― 2008年12月2日 まごころ教育友の会代表 大山大仏(3)、 山口 侠介 【7】寺尾氏の「趣旨説明」から見えてくるもの(2) さて、この後は、タイモさんの書き込みを引用させていただくところが、大部分、ということになる。 そこで、思い切って、ここでタイモさんの書き込み[163]異常な趣旨説明 を全文引用させていただきたい: (タイモさんの分析の最後へJUMP) これに、自分の思うことを付け加えるという形で以下の展開を進めていきたい。タイモさん、詳しい分析をありがとうございました。勝手に使わせていただくことをお許しください。 《すりかえ》だ。また、かれら独特の《詭弁》が見られる。生徒のためにやっているというのなら、M君への幹部教師集団いじめの件はどうなった?1月17日以来、『まごころ教育』の存在を知ってから、土居中教師たちが何をしたのか、それを知っているのか?知っていないでは済まされない。また、知っているのなら、どうして上のようなことがいえる? 本当にしなければならないことは、真実の追求と謝罪だったのだ。それをしないから、生徒たちの心が不安定になったのだ。しかも、この11.26集会は『校長体罰事件』よりも後ではないか!そこにも生徒のことを本当には考えていないことが露呈しているではないか。 あと、タイモさんが指摘してくださっているとおり、この寺尾氏の発言からは、成績という情報を学校が外部に漏らしたと考えざるを得ない。学校と一民間私的団体との癒着を追及する必要がある。 2008年12月4日 まごころ教育友の会代表 大山大仏(3)、 山口 侠介 【8】寺尾氏の「趣旨説明」から見えてくるもの(3) 宇摩民報については、タイモさんの解説参照。教育委員会のことでひとつ。 >このことをきちんとできるのは、教育委員会しかないんじゃから、教育委員会できちんと対応してくれと。というような形で話を持ってきました。 そこがおかしい!!こうやって、教育委員会になんでも押し付けてきて、教育委員会を支配下につけようとするのが彼らの常套手段である。 また、「このこと」とはどのことなのか? 彼らのやり口には、こういう指示代名詞があまりにも多すぎる。これは、自分がはっきりと明言して責任を背負うことを避けようとする、やはり彼らの常套手段の一つなのである。「判断」という頭の中で行われることにおいてさえ、彼らは、「自分は手を出さず、相手にやらせる」という手を使う。S教頭がやっていたのと同じ手を。 さらに追加しておくと、これは、「教育委員会に言った」という一つの報告であるが、それを指示代名詞を使って、集会の中で「趣旨説明」として不特定多数にばらまいているのである。不特定多数の参加者は、「このこと」と聞いて何を思い浮かべるのであろうか?全員が同じことなのであろうか?? ここは、すべて《自己正当化》である。 >そしてその会の中では、民報宇摩に書かれた中身のこういう点が間違っているんだよということをお伝えしたんですね。そして、A教諭のことが出てまいりましたので、A教諭の学校での勤務状況とか態度はどうだったのか、ということも、おかしいよということを報告さしていただきました。そして暴力事件のことを多く取り上げていましたので、このこともですね、えー、目撃した人の証言を得るようにもって行きました。 宇摩民報に描かれていることのどこが間違っているのか?それを「間違いだ」と言ってシラを切れる君たちの方が間違っている。この論理、わかるかなあ?君たち、A教諭にも事情を聞いたのか?A教諭に聞かずに、片方だけ聞いてどうして、「おかしいよ」なんて言えるのか?そういう君たちの態度がおかしいだろう。矛盾しているだろう。 というわけで、ここは、実に矛盾に満ちたところである。 なお、彼らが思う通りの差別心に満ちた「勤務状況」に近い形で、A教諭が勤務をしていたとしても、それはちっとも非難されるべきではない。『自殺対策基本法』を読み込んでいるのか、逆に聞きたい。タイモさんの分析をよく読んで、胸の奥に刻み込むべし。ちなみに、学校の教員の勤務態度が「おかしい」よなんていう権限があるのは、誰だ?寺尾さん、あんたか?冗談じゃないだろ!それは管理職だ。C1‘の須山校長は去年のこと知らないしA教諭に何も聞いてないんだから答えられるわけない。ということは、「A教諭の勤務状況がおかしかった」と非道なっことをになってもなお言っているのは、C2しかいない。 さらに、暴力事件の「暴力」はいったい何を指しているのか?1月16日の時点では無理やり「5日」にして書いてもらった診断書を、それから数カ月たった時点で被害届を出すために、「3週間」と医者に無理やり書かせたことか?さらに、その時、ヒジが当たった部位まで適当に書かせたことか?そのようなでたらめの報告をするようにC7に強要したことか? ここは、かなりひどいあくどいことを彼らはしているのである。目撃証言なんてどうにでも好きなように作れ、なんのあてにもならないことが分かる。 ひとつ聞きたいが、目撃証言とやらに間違いがあった場合、その責任はだれが取るのか?C2教頭か?それともこの会の正体不明の開催者か? いずれにしても、自分たちの都合のいいようにねつ造したことのみを、さも本当であるかのように大衆の面前で述べて、A教諭の名誉を棄損することは、大きな罪である。このまやかし集会の主催者および連れになって行動したものは、A教諭に謝罪して、謝罪すべし! 【6】教育委員会攻撃 ここは、すべて《おしつけ》である。いきなり、 >そしてこの会の中で、教育委員会に、この事件の背景の説明を求めると、いうことで、25日には500人ほど集めて、教育委員会としての経過をきちんと話をして、どうやって解決していくんだということも述べてもらおうということで、えー、なりましてですね、9月2日の日に3名で、教育委員会に出てきまして、話をしました。で、そのなかですね、えー、文書で申し込みをいたしまして、9月5日までに、文書で回答をくれと、いうような話をしましたけれども、教育委員会の方はですね、 とこう来る。いつもやる、《教育委員会攻撃》である。「この事件の背景の説明を求める」って、いったい何を期待していたのか?というか、何をやらせたかったのか? 明白である。自分たちが、8月21日にねつ造してA教諭のことについて、【教育委員会の太鼓判】がほしかったのである。そうすれば、自分たちはどんなウソをついても【逆賊】にはならないという魂胆だ。 9月2日には、3人で市教委へ押しかけて、「9月5日までに文書で回答をくれ」だって。呆れてものが言えない。教育委員会の方が「今までの教育委員会の対応にも問題があった」って言うのは、当然、君たちに対するはっきりしなかった対応に問題があった、ということでしょ! しかし、きちんと理念を通して「行かない」と断言したのは教育委員会は偉かった。 それで、慌てふためいて、3人は次に青木議員さんのところに行くわけだ。 ところで、我々はここで一つの疑問を持つ。行政に対してこのような高飛車な態度をとるということ。それだと、「もしかしたら警察にも同じことをやっているのじゃないか」という疑問である。これについては、市民皆で観察しいていく必要がある。 【7】民報宇摩攻撃 ここは、すべて《ウソ》である。前の【6】の最後に、 >その後、このままではいけないということで、共産党の青木議員との話も持ちました。 と来るのだが、「このままではいけない」???何がいけないのだ??何であわてて、議員さんにまで接触しなければいけないのか?わからない。 こういうのもある。 >これ以上学校を混乱させるようなそういう文章を出さんといてくれ。 ここからは、巧妙に隠した狐の皮の下から彼らの本音が垣間見える。しかし、この部分は論理の《すりかえ》である。生徒が混乱しているとすれば、それは、これまでウソで塗り固めてきた者たちの責任なのである。民報宇摩には真実しか書かれていない。 そのあとは話にならない。 >共産党の方はですね、議会でこのことを一般質問にあげているということで、一応議会が取り上げてやっとんので、報告を出さないかんという話なりました。そのなかですね。とにかく、保護者とか、そして学校に刺激を与えるようなそういう書き方をしないように、文章表現を考えてくれと、いうように話をしましてですね、そして、ブログが一番の問題なんで、ブログを消せるように働きかけをやってほしいというようなこともお願いしまして、やれる範囲でやってみましょうという話になりましたけれども、最終的には消せなかったんですけれども、というような話を持つ場も持ちました。 これを見た一般市民さんが、次のように掲示板に書き込んでいる:
「1126集会の正体」を見てびっくりしました。 なんで、あんなウソをつかなければならないのか。寺尾氏は、これにこたえる責任と義務を持つ。 そして、このパラグラフの中には、最大の重要センテンスが含まれる。それが >ブログが一番の問題なんで、ブログを消せるように働きかけをやってほしい。 である。彼らは、ただこのために、ただこの1件のためにあらゆるウソのシナリオを作り、A教諭を誹謗・中傷・名誉棄損して、これまで身につけてきたあらゆる的潰しの方法を総動員しているのである。 それほど、(ブログではない。正確には『まごころ教育サイト』は都合が悪いらしい。) 我々は、先日、2008年2月時点のまごころ教育サイトを公開した(こちら→)。 なぜ、その問題に真摯に心をつくして取り組もうとしてくれないのか?? それを声を大にして言いたい。 【8】警察情報 ここは、《おしつけ》と《すりかえ》が見られる大変重要なところである。ここは、ほとんど全文を次に引用する: >「警察の方の捜査が、かなり進み始めてきたと、で関係者の人の事情聴取とか、あるいは調書をとり始めている」というような話も、伝わってまいりましてですね、そっちの方も重点的にしていかなければならないだろうという話と、そして「プロバイダーを誰が開設とかいうこともわかってきた」と。そして、「A教諭のパソコンが、差し押さえられるだろう」という情報も伝わってきましたので、そのあたりが明らかになるまで待った方がよかろうということで、待ってました。ほして、書き込みをしていた人たちの名前も、じわじわと出てくるようになりましたので、ね、 ここがなぜ重要か? 「警察の方の捜査が、かなり進み始めてきた」 と、伝わってきた。 「で関係者の人の事情聴取とか、あるいは調書をとり始めている」と、伝わってきた。 「プロバイダーを誰が開設とかいうこともわかってきた」 と、伝わってきた。 「A教諭のパソコンが、差し押さえられるだろう」 と、伝わってきた。 書き込みをしていた人たちの名前も、じわじわ と出てくるようになった こういうことである。 「警察の方の捜査が、かなり進み始めてきた」??? 誰から聞いたのだ?? 「関係者の人の事情聴取とか、あるいは調書をとり始めている」??? 「プロバイダーを誰が開設とかいうこともわかってきた」??? 「A教諭のパソコンが、差し押さえられるだろう」??? 書き込みをしていた人たちの名前も、じわじわ出てくる??? いったい誰から聞いたのだ?? あながち彼らが作ったウソとばかりは感じられない響きがある?? これは、我々の心の中に、大疑問を残す重大なことなのである。議会での追及も必要かもしれない。 さて、こうして、教育委員会のみならず、警察をも自分たちの手のひらに乗せることで、一方的に、「書き込みしていた人たちは悪」というイメージを民衆に植え付けることに半ば成功している。 この寺尾氏の「趣旨説明」の中には、公務員の守秘義務違反というとんでもないことが暴露されており、ただで済ませるわけにはいかないであろう。 (つづく) 徐々に掲載を更新してまいります。更新したときは、トップページの「NEW」の後ろの「!」マークを増やしていきます。それを目印として、お読みください。 2008年12月6日 まごころ教育友の会代表 大山大仏(3)、 山口 侠介 |